大麻事犯実例 要調査項目 ― CyberPunk、男性


捜査の端緒   

なぜ捜査が開始されたか?

インドに旅行に行ってた時にメールで友人から大麻を送って欲しいと言われ、特に考
えることなく送封した。関空の郵便局(税関)で犬に察知され、レントゲンの後に開封のための裁判手続きを経て薬品検査、ガスクロ検査、顕微鏡検査をされ、大麻と断定。内偵開始。
 

当時の社会的環境は?

 前職の会社を辞め、長期旅行中。(無職)

 

前歴の有無

 前科なし。

他の規制薬物との絡みは?

 タバコ、酒以外はなし。

捜査の過程   

任意取り調べ、捜索などの様子

 受取人だった友人は任意取り調べはなく、ある早朝突然逮捕状/家宅捜索状を持って現れた警察官に逮捕、ガサ入れされた。私は帰国時点で知らずに友人に電話し(その頃、友人は既に裁判も終了していた)自分に対しても逮捕状が出ていることを知っ
た。

逮捕      

罪名は(所持罪、栽培罪など)

 大麻取締法違反(密輸)

逮捕時の様子

 逮捕状が出ていたのを知っていたので、やたらに逃げるよりとっとと終わらせること
を決意して出頭、そのまま逮捕。

弁護士の選任  

私選か、国選か、費用は?

   逮捕状が出ていたのを知っていたので、やたらに逃げるよりとっとと終わらせることを決意して出頭、そのまま逮捕。

勾留

勾留中の取り調べ

   基本的に友人の裁判も終わっており全て吐いてたので、全部喋ったのを永遠のような時間をかけてゆ〜っくりと調書にしただけ。時々、同じ質問を複数回してボロが出るように仕向けられたが、取調官本人のIQがネアンテルダール人並みのため、意図は手に取るようにわかった。こちらとしては既に事実を掌握されていたし、とっとと終わらせたかったので基本的には全部しゃべって早く捜査を終わりにしたかった。しかし、警察側は非常にのんびりとした態度で調書を作り、いっこうに進まない事に苛立ちを感じた。

勾留は外に出れない、タバコが吸えない、好きなものが食べられない、外界とのコミュニケーションがとれない、家族(妻)の事がとても心配(接見の時、とてもやつれてる様子だった)、エラそうな警察官が調子に乗ってムカつく、運動ができない、空が見えない、取り調べがない時は本当に何もすることがない(ほとんどみんな昼寝してるから、夜も寝れなくなる)等、もううんざりして精神的に追い込まれた気分になった。しかし、話しを聞いていると他の署で勾留されていた人よりかはマシな境遇だったようだ。

逮捕後に反省の色を示したか否か

 どの道有罪判決が確定していたし、外で待つ妻もいたため、反省したふりはしたし謝りもした。本当は何一つ悪いとは思っていないのをグッと堪えて謝るのは堪え難い精神的苦痛だったし、本当は「何が悪い!」と言い放ちたかった。でも、正直、自分はいくらでも勾留生活が我慢できるが外に残した妻を盾にされてる気分で、とにかく一刻も早く出ることしか考えていなかった。

起訴      

起訴か、不起訴・起訴猶予か

 起訴された

保釈      

認められたか否か、保釈金は?

  保釈は認められた。保釈金は200万円。(妻の実家から借金) 

公判

審理の様子、公判回数・期間

 公判(判決含め)2回。保釈から約2ヶ月で初公判、3週間後に判決の言い渡し。

求刑      

求刑・求刑理由

   求刑懲役1年。求刑理由は、本邦において害悪を拡散しようとし、論ずるまでもなく著しい害のある薬物を(なぜ論ずる必要がないのか、怒りを覚えた)もって自分はおろか、社会をも危険にさらそうとした罪は重いため。(というのを、学芸会のノリで検察官が棒読みしていた。)

判決      

量刑(実刑か執行猶予か)・判決理由

   懲役1年執行猶予3年。基本的には検察官のいう通り、害悪を本邦に拡散しようとした。しかし、被告人は反省の態度もとり謝っていることもあり、執行猶予3年とした。


事件による被害 

社会生活・私生活における物的・精神的な喪失・崩壊やそれに従う苦痛、自由の制限、近隣からの差別・いじめ・偏見など受けた被害を具体的に

 当時無職だったため、幸い職業上の問題はなかった。しかし、私と妻の両親に知られ
ることとなり、最初は結構大変だった。妻の両親は妻が大麻について力説し理解は得
られたが(違法だから、合法になるまではもうやるなよ!程度)私の父親は今も息子
が薬物中毒になったぐらいに思っていると思う。物的喪失としては、やはり弁護士費
用。(保釈金は戻ってきた。)長旅を終えてから弁護費用にあてる100万があるはず
もなく、妻の両親から借金し、職についてから8ヶ月かけて返済した。
精神的な苦痛は計り知れないものがあった。3週間の勾留は想像以上につらいもの
で、しかも年末年始という、役所がまったく仕事をしない時期と重なったこともあ
り、まったく何の意味もなく勾留されていた期間があった。(年末の最終営業日の夕
方に起訴されたため、新年まで保釈申請ができなかった。)妻は私がおらず、心配し
てやつれてしまいました。また、保釈後、裁判後も妻は大麻を悪いものだとは思って
いなかったものの、あまりの精神的ショックから大麻については見たくも聞きたくも
ないのが本音だったようです。こんなに大事になるのであれば地球上から消えてしま
えばいいぐらいの気持ちだったようです。今も、夫婦ともども執行猶予中は絶対に大
麻に手を出さないと誓っているが(今度やったら実刑の可能性が高いため、そこまで
のリスクを背負ってまでやるもんじゃないと思ってる)妻はようやく元の状態に近い
感じとなり、私が自由化運動に参加していることも承諾してくれている。(今は本人
も会員となっている。)しかし、そこに辿り着くには長い時間と心のケアを要しまし
た。
自由の制限は特にないが、以前に比べ些細なことでも法に触れないように慎重に行動
している。普通だったら何とも思わないような些細なこと、例えば、満員電車の中で
は痴漢に間違われないように両手上げて手すりにつかまったり、お酒を飲んでの口論
も喧嘩になりかねないので避けている。その他、色々と今迄は特に気にしたこともな
い事を気にしなければならない。
近隣住民とは元々そこまで付き合いもなかったし、別に何か言われたこともないが、
留守にしていた間に絶対に警察は来ただろうし、ガサ入れの時は様子がおかしいと思
ったのは間違いないだろう。不動産屋には警察から連絡が入り、私の行方(当時は長
期海外旅行中であった)を訪ねられていたらしく、帰国後に色々と聞かれた。(幸
い、大麻については触れてなかったようだったので今は大丈夫だが、かなり焦っ
た。)今度引っ越すつもりだが、今の近所が気に入ってるため、近くに住みたいと思
っている。しかし、同じ不動産屋で物件を紹介してくれなかったらどうしよう、とは
今も心配だ。

 

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