大麻事犯実例 要調査項目−当時20代女性

捜査の端緒

なぜ捜査が開始されたか?

知人に自家栽培乾燥大麻を譲ったが、その人に警察の内偵調査が入っていた。


当時の社会的環境は?

新しい職場(クライアント会社への栄転)に就く当日。

前歴の有無

前科・前歴共に無し

他の規制薬物との絡みは?

一切無し

捜査の過程   

任意取り調べ、捜索などの様子

6時に玄関のブザーが鳴り「下の階の者ですが」と若い女性の声で起された。ドアを開けると10人弱の警察が立っており、捜査令状を見せられた。起き抜けだったこともあり「ちょっと着替えさせて下さい」と部屋に入ろうとしたら「そのままでいいから動かないで」と玄関に立たされたまま全員が入ってきた。

さっきの声の主である若い女性捜査官に衣服検査をされ、そのあと検査用に尿も採取された。その間に他の捜査官達は部屋中を探し始め、あえなく一人の捜査官が「ありました」とベランダで栽培中の大麻草5本を発見。

「なんで捜査に来たと思う?誰かに譲っただろ?」と言われ「誘導尋問に違いない」と感じ、黙っていたら「△△知ってるだろ?こいつに譲ったろ?昨日すでに逮捕されている」と捜査官のほうから切り出したので「はい・・」と正直に答えた。

「終わった・・」と心底絶望し、喉がカラカラになった。捜査員は「何時何分、大麻草発見」と復唱したり、私に大麻を指差すポーズをさせた写真を撮影、「この他にはもうないのか」と聞かれたので「あります」と収穫していた分を出すと、また同じくその場で指差し写真、証拠品(栽培に使用した園芸用具などと、吸煙に使用した器具一式)もすべて指差し写真を撮影。証拠品としてそれらすべてを押収、さきに部屋から運び出された。

「電話を2件、友人と会社に掛けさせて下さい」と捜査員に頼んだ。「逮捕の様子などは話すな」と事前に注意されたので、詳しいことは何も話すことができなかった。

署に連行されるにあたって衣類や洗面具諸々を準備させられた。捜査の間中、一人の年輩の捜査員が「こんなことして・・嘆かわしい・・」としきりに呟いていた。

逮捕      

罪名は(所持罪、栽培罪など)

大麻取締法違反容疑『譲渡』、その後、『所持・栽培』で再逮捕。

逮捕時の様子

部屋で「◯時◯分、××××(私の名前)、大麻取締法違反の容疑で逮捕するからな」と逮捕状を出された。玄関を出る時手錠と腰縄を掛けられた。建物を出る時、何人かの通行人が見ていた。

勾留10日目にいきなり釈放された。房内を出ると担当刑事が立っており、彼等に連れられ、手錠なしで警察署の敷地を出たとたんに、「栽培・所持の容疑で再逮捕する」と人通りの非常に多い歩道のまん中で逮捕状を出され、証拠写真を撮影された。

刑事の一人が手錠をとり出そうとしたら、さすがにもう一人の刑事が「人が多いから車の中でしろ」と指示をした。しかしすでに大きなショックを受けており「もうこの街には来れない」と感じた。

弁護士の選任  

私選か、国選か、費用は?

私選弁護人を雇うような貯えもなかったため、選択の余地なく国選弁護人。

離れて暮らす両親がはるばる接見に来たが、母が号泣。その姿を見て、心から申し訳なく思い、とても頼む気にはなれなかった。

勾留

勾留中の取り調べ

逮捕された当日は生い立ちや学歴・職歴などのプロフィールを取られ、2日後から、私の事件の担当となった刑事に連日の取り調べを受けた。1日に2回あったことも。

初日に刑事は事件とは関係のない世間話を始め「もし大麻が規制されてなかったら、俺もやってみたいよ」と心にもないであろう事を言った。そのうち「大麻を吸ったらどうなる」と聞かれ、具体的に答えたところ「しょっちゅう仲間と大麻パーティーしてるだろ。でなかったらそこまでの表現はでないはずだ」「覚醒剤はたった1回の使用で中毒になる。大麻の使用はそのうちエスカレートして覚醒剤に繋がる。友人を救いたかったらそいつの名前も教えてくれないか」しまいには「お前が知っている大麻関係の人間の名前を一人でもいいから置いて行け、そしたらお前も楽になるから」という展開になり、私の事件とは関係ないではないかと疑念が膨らんできた。

毎回取り調べで「名前を言え」と迫られたが、「全て私ひとりでやったことで、友人は誰も知らない」と言い続けた。共犯者と私とを繋ぐ友人を「こいつも怪しい」と挙げて私の様子をうかがったり、とにかく調べで仕方なく知人たちの名前を出すと、全て疑惑の対象に挙がっていた。「俺の調べで、もし嘘の証言したらその時は許さんぞ」と真剣な顔で脅された。

調書の作成は、言ってもない台詞や心境などが脚色してあり、どこまで「それは違う」と指摘してよいかわからず、「まぁだいたいの筋は合っているな」と思ったら、プリントアウトされた書面に承認捺印していた。毎回、少しも気を抜けず、調べが終わって房内に戻るとグッタリしていた。

逮捕後に反省の色を示したか否か

取調中は供述に精一杯で、反省を表す言葉を自主的に発した記憶はない。ただ、反抗的な態度を取ったり大麻を賞賛することは言わなかった。

起訴      

起訴か、不起訴・起訴猶予か

再逮捕があったのでどういう計算になっているのかははっきりしないが、マンションで逮捕されてから、21日目に譲渡の罪で起訴された。再逮捕からは12日目。その起訴からさらに28日目に所持・栽培の罪で追起訴。起訴状は留置所に特別郵便で私宛に届いた。しかし起訴状が手元に届く数日前に、留置所担当係から通りすがりに「もう知ってる?キミ起訴されたよ」とあっけなく告げられた。

起訴件数は三件だが弁論併合決定され、裁判はすべてまとめておこなわれた。

第一回公判での検事側から裁判官への説明でわかったのだが、共犯者の知人は、逮捕から10日で起訴猶予となり釈放されていた。

保釈      

認められたか否か、保釈金は?

保釈は私選弁護人からの申請しか認められない。もし私選弁護人を選出していたとしたら、私の場合総額約250万円ほどかかる計算になっていた。裁判が終わり、実刑以外ならその内の保釈費用(150〜200万円程)は全額返金される。しかし、私は前述の理由で国選弁護人を選んだため、保釈申請は認められなかった。

公判      

審理の様子、公判回数・期間

追起訴から13日目に第一回公判・罪状認否。質問の内容は前もって弁護人接見の際、あらかた聞かされており、移管された拘置所で何回も練習した。

検察側も、対する弁護側もかなり事務的に書類を読み上げるやりとりが続いた。その後、弁護人から私に「大麻は何故禁止されているのか」「禁止されていることを分かっていながらなぜ栽培・譲渡したのか」「今後大麻をやめられるのか」との質疑応答。家族に情状酌量の証言などをしてもらうのは忍びなかったので、手紙を書いてもらい弁護士から裁判官に提出された。その14日後に第二回公判・判決。

求刑      

求刑・求刑理由
 二年。「見つからなかったら、栽培してもいいだろうという姑息な考えを持っているという見解と、再犯の恐れがあることにより、求刑二年を申し立てる」という検察側の要求。

判決      

量刑(実刑か執行猶予か)・判決理由
 懲役一年六ヶ月、ただし執行猶予三年。法で規制されている事を知っていて栽培した罪は重い。

事件による被害 

社会生活・私生活における物的・精神的な喪失・崩壊やそれに従う苦痛、自由の制限、近隣からの差別・いじめ・偏見など受けた被害を具体的に

決まっていた栄転が流れ、職を失った。現在も就職できず、無気力で苦しい生活を強いられている。

なによりも精神面でのショックが大きい。初めての手錠腰縄、署内の女性職員に汚物扱いされたことや、道ばたで大勢の目に曝された再逮捕、全裸にされ肛門・性器に隠しものがないかを覗き込んで検査されたことなどがその要因。

ふとした拍子にそれらを思い出し、首に冷や汗が吹き出したり胸が締め付けられて今も苦しくなる。

それまではたいがい誰とでも仲良くなれる、人見知りしない、おめでたい性格だったが、逮捕後は人の目がやたらと気になり、会話もぎこちなく、実際「言葉がパッと出てこない・どもる」などの軽い言語障害が出ていた。

初対面の人はおろか友人と接するのも、しばらくは恐くてたまらなかった。

思い過ごしかも知れないが、仲の良い友人たちに、一線引かれている思いがした。

留置所にいる間、栄養状態が悪く、飢餓状態が続いたため、中枢神経が壊れた。

逮捕から釈放までのあいだ生理が来なかった。

今でも留置所や拘置所、また逮捕されたりさらに脱走したり服役している悪夢をしばしば見ることがある。

家族が私に気を遣って、いまでも時々腫れ物にさわるような緊張した対応をする。みんなも私の逮捕で深く傷付いているのに、そうやってさらに気
を遣っている姿を見るのがとてもつらい。

役所に行き、未払分の国民年金・国民健康保険料の免除申請、及び貧困のため裁判費用支払免除に必要な無所得証明書類の発行申請をしたところ、窓口で「理由を言わないと書類は発行できない」と言われ、仕方なく「警察に勾留されていた」と言うと、明らかにジロジロ眺められ怒りが込み上げた。

平和を愛し、自然を愛し、穏やかな世界を理想郷としている人間が、一転して一生消えない犯罪者の烙印を押されることは本当になげかわしく、切ないです。

こんな思いはもう誰にも味あわせたくありません。

 
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