昨年,2001年,10月22日,私は,渋谷区明治通りと宮益坂の交差点を渡りきったところで,大麻不法所持にて現行犯逮捕されました。
 
 やっとの思いで,妻が用意した保釈金を積んで,32日間の勾留から解き放たれ,自由を再確認し,やれやれと思い、まずは、インターネットで貴サイトに出会い,隈なく読みました。
 大麻取締法違反で逮捕され社会生活を失い,日本国の法律に敢然と立ち向かってる人達もいるのだなぁって,感心しておりました。

このサイトを開設して、ご苦労も多いと思いますが、私の逮捕体験談が少しでもお
役に立てればと、思い、寄稿いたします。

 



 私の、大麻歴は随分長く,もう既に,20年を過ぎました。現在,45歳になります。
 若い頃は,スタジオミュージシャン,ツアーミュージシャンをしており、私の周りには,大麻などのドラッグは,いつも,誰かが所持しており,入手に困った事がありませんでした。
 良く巷で言われることですが、大麻を吸引するともっと刺激の強いハードドラッグが欲しくなると言われたりしますが、それは、ビールが好きな人が、ワイン、ブランディー、ウイスキー、果ては、ウオッカに行くという事は聞いた事も見た事もありません。
私は、スモーカー一筋です。

 その後,ミュージシャン生活を止め,ファッションビジネスを立ち上げ,アメリカL,A.に住み,(7年間)そこでも、極,普通に入手でき,私の生活に潤いをもたらす大麻と愉しく時間を共有して過ごしてました。

 しかし、取引先の倒産で,私は多額な負債を被る事になり、泣く泣く帰国し,仕事も大麻も私の前から消え去り,何とか,入手できる方法はないかと思っていたところ,TV番組の特番で,今,日本国内に蔓延するドラッグの状況を具に放映していたのを見て,渋谷に行けば,手軽に入手できるのだと知り,日本も変わったなぁーなどと感慨に更けながら,足は,自然と渋谷のセンター街に向かっていました。
 そこで,イラン人から,3回,数グラムを入手し,夫婦仲良く大麻を吸引し愉しみ、やっぱり,コレが無きゃね,なんて,暢気なことを言っておりました。
 
 98年に,帰国以来,私の生活は,貧乏のどん底に落ち,仕方なく,妻が外に仕事に出て,私が,ハウスハズバンドをしていました。
 それから、3年の月日が経ち,やっと,私たち家族にも,1泊2日の旅行に行けるお金が出来,家族4人揃って,旅行を計画し,その為の電車のチケットを買いに,新宿でチケットを購入し,その足で,渋谷に出向き,イラン人からほんの1グラムを購入したのでした。

 それまで,3回,夜になってから購入していたのですが,その日は,昼間しか出向く事が出来ない事情があったため,少し,胸騒ぎがあったのを押さえ,まんまと手にして,帰路に向かおうと,渋谷駅に向かったのでした。

 生憎,信号待ちで,横断歩道の手前で信号が変わるのを佇んでいたところ、ふと、対面に制服警官が、2名立っているのを発見し,まさか,私を捕まえに来たのではないだろうな?と、訝しげに見,もしや,そのような事があれば,今持ってる物を捨てなければと思い,信号が変わるや否や,即座に,その場に捨てたのですが,制服警官2名が,私に近寄り、こちらに来て欲しいと言われ,両腕を掴まれ,職質を受けました。
 私は,即座に捨てたので,彼らに連行されても証拠が無い以上,逮捕は無いと思っていましたが,さにあらず,もう一人,私服刑事が,私の真後ろに付いており,捨てた物を手に取り,「今,おまえが捨てた物を拾ったぞ!」と,鬼の首でも取ったかのように,嬉しそうな顔をして凄み,一緒にいた制服警官も,俺たちも見たと言い、渋谷駅前の人だかりの中で,尋問が始まりました。
 
 私の逮捕は、初めから仕組まれた物で、私がイラン人と接触しているのを、刑事がその場を張っていたのでした。(私は、イラン人と連絡を取る前、接触中、それらしき連中はいないかと見渡した
のですが・・・・) 巧妙な、囮捜査のようなものです。まるで、ねずみ取りに引っかかったような物です。
 しかも、逮捕後、留置所内の担当が言うには、「おまえは、馬鹿だ。渋谷に来て大麻を買うのに、昼間に来る奴があるか!それに、買う奴だけをしょっ引いて、売ってる奴は逮捕しない。売ってるイラン人は、どうせみんな、否認するんだから」と言われたのを聞き、愕然としました。
 しかも、警察は、元締めが誰であるかも知っています。
 では、何故、逮捕しないのかと言うと,暴力団を取り締まるのには、その部署が動かなければいけないらしく、生活安全部と、そこは、非常に仲が悪く、合同で、捜査する事は有り得ないそうです。
 これは、同じく、担当から聞き、尚且つ、検事からも聞きました。全く、馬鹿げた詰まらない縄張り争い意識から来る、役人根性です。


 私は,過去に,一度の逮捕歴も無く,友達から逮捕される時の様子などを聞いていたので,迂闊に喋っては,先方の術中に嵌ると思い,頭の悪い警官たちの言う事に,何も発せず,黙秘をしていました。
 しかし,人だかりの中で大声を上げる警官たちの言葉に辟易し,早く,署に連行しろと言ったのですが,私の羞恥心を更に刺激し,この場での自供させようと必死の様子でした。
 私が,何も言わないため,諦め,仕方なく,パトカーを呼び,(3台)刑事,数名(6人くらい)がその場に乗り付け、やっとの思いで,パトカーに入り,証拠の大麻の薬物検査をし,大麻である事を認定し,私に,それを確認させ,(一旦,パトカーから出て,その場で,証拠物の指差し確認の写真取りをし)渋谷署に連行されました。

 私が,渋谷駅前に尋問されてる時に、彼らと口を利いたのは,どれくらい勾留されるのかだけを聞き,これは,とんでもない事になったなと,自覚したのでした。(アメリカでは,多くて、2泊3日です)
 私の頭の中には,やっとの思いで家族旅行が出来る機会を、みすみす,見逃してしまった自分を責める,贖罪の気持ちでいっぱいになったのです。
 私は,アメリカに住んでいた頃から,家族主義で,特に,子供達と過ごす時間を大切にしていたので,全くその場では冷静を装いながらも、子供達,妻に会わせる顔が無いと,一瞬のうちに,谷底に落ちて行く自分の姿が、乖離して見えました。

 唯,私に救いがあるとすれば,ここは,日本国内であると言う事だけでした。と言うのも,私は,過去に,アメリカ国内において,逮捕,収監された経験を持ち,日本国内だから,身に危険は無い事が,自分を見失わないでいられるなと思ったのでした。

 私の担当刑事は、生安一筋の40代後半の熱血漢でした。
 取調べをする前に、私が、逮捕された事に少々、不満や不貞腐れておりましたので、私の気分を悪くさせない為、非常に友好的に刑事は接してきました。
 何故、私が、逮捕されなければいけないのかを、説明しろと問い詰めると、「大麻は、持ってるだけで罪になる」だから、逮捕理由があると、その時、初めて、大麻取締法と言う法律は、吸引ではなく所持だけで、処罰される事を知ったのでした。
 しかし、私は、被害者がいないのだから、犯罪ではないのではないかと、問うと、
「国にたいしてに反逆である」と、苦し紛れの答弁に、思わず、大きな声で笑ってしまいました。
 そして、彼が言うには、「おまえのような事を言う奴がたまにいるが、逮捕されたのだから、大人しくしていた方が良い。」とも言い、私は、ここで、争っても仕方が無いのだと思い、当番弁護士の手続きを取ってもらい、如何しても、考えなければいけない局面近づいてる事を、時計を見て、改めて思ったのです。
 
 私は、頭の中は、如何しようかと言う切羽詰った事態を迎えてる現在の自分の状況を、普段、コレほどの局面を迎える事が無い私の頭のは、猛スピードで展開していました。
 買ったばかりのチケットと,もう直ぐ,帰って来る小学一年生の息子の事が気になり、担当刑事に,警察からの電話だと言う事を伏せさせ、妻への連絡を急がせ,その代わりに,刑事に印象を良くするため,罪を認めたのでした。
 調書は,稚拙な彼らが用意した筋書き通りに進み,一時間ほどの身分照会や(何故なら,私は,財布以外,自分の身分を証明するものを一切所持していなかったため),指紋,写真撮影を終え,留置場に連れて行かれたのでした。
 初めての留置場に、私は,どんな所なのか,好奇心で一杯になり,担当刑事に詳しく聞き,そこでの決まりを聞いたのですが,アメリカで言われた事と同じ「喧嘩はするな」と言う,言葉に思わず,苦笑してしまいました。

 私は,現行犯のため着替えの服も無く,その時の格好のまま,部屋に入れられ,部屋の中にいる被疑者と違う自分が,とても,浮いた存在である自分が,また可笑しかったのでした。

 部屋は,6人部屋になっており,床は,ビニールカーペットを敷いた長方形型になっており,奥の左角に,日本式の便器が設えてある,いたって,シンプルな部屋です。
 お決まりの鉄製の格子が付いていましたが,下半分には,すりガラス的なアクリル板が格子と一緒に嵌めてあり、被疑者のプライベートは多少ではありますが,守られていました。

 部屋に通されると,部屋の中に居た先住人が待ってましたと謂わんばかりに、私の罪状,並びに,詳細について聞いてきたのでした。
 先住人は,4名おり,52歳の(自称やくざ)覚せい剤密売人,(21歳のやくざ志願)都条例違反者、(33歳の内装業者)傷害,達は,新入りを心待ちにしていたかのように,楽しそうに私を取り巻きます。
 一通り,私に話を終え,これからの事を彼らに聞き出すと,明日,検察に行き,明後日,裁判所に行く事を告げられ,大麻所持の初犯は,執行猶予が付くことを告げられ,最低でも,22日間の勾留があると教えられました。
 今までに,数多くの友人が逮捕されていたので,別段慌てる事も無く,早朝から起こされる環境に置かれたことが,嫌だなって,思ったくらいでした。
 しかし、それは飽くまで、今後何もなければと言う事であり,ガサ入れで何か出て来たら,それも長くなると言われたのを聞き,少しばかり,引っ掛かりを覚えたのです。
 何故なら,私は,その年にベランダでグローをしようと思い,一鉢栽培しており,(日照時間が短いため,発育できず)それを片付けていなかったので,それを見られる,それに,シードがある事を刑事に告げてました。
 そして,それらが見つかったら,この先は長い事を,覚悟したのです。
 しかし,妻の機転で,それらは全て,処分され,刑事のガサ入れでは何も無く,一安心したのを,後日知り,胸を撫で下ろしました。

 それより,私は,家族の事を思うと,どうゆう理由で私がいなことにしようかと,考えあぐねていました。
 それと言うのも,私には,もう一人子供がおり,中学1年生の娘に対して,誤魔化しの利かない理由を幾つか並べて頭の中は,あいも変わらず色々なアイディアが出てくる自分が可笑しかった事を記憶しています。

 私は,今後の自分自身の展開には,さして,不安を覚えるわけではなく,22日間のんびりする事にしようかと考えていましたが,覚せい剤密売人から,「弁護士は雇えるのか?」と言う質問で,我に返ったのです。
 何故なら,逮捕された当時に,知り合いの弁護士などいない私は,当番弁護士を呼んであったのですが,その弁護士が如何いった弁護士であるかが気になり、どれほどのことが出来るのか、少々、心配になったのでした。
 48時間の勾留が終わるその日の夜遅く,当番弁護士がやっと現れ,弁護士料,保釈金の内容を聞いて,驚いてしまいました。
 ナント,弁護士料金は,判決が終わるまでに,70万円,保釈金,150万円から,200万円が必要だと,木で鼻を括ったように当たり前に偉そうに言う弁護士に、怒りを覚えたのです。
 そう言えば、逮捕された経験のある友達が、200万円と言っていたのを思い出したのです。
 ここ,日本でも,弁護士と言う存在は,唯のビジネスマンであり,弱きを助け強気を挫くなんて、映画や,小説に出てくる正義の味方ではないことを悟ったのでした。
 アメリカの弁護士は,90%近く,悪徳弁護士であり,(英語では,弁護士の事を、ロイヤーと呼びますが,私は,ライヤー(嘘吐き)と呼んでいました)日本の弁護士も同じようだなと,確認しました。

 さて、余裕のあるお金に全く縁の無い私は,裁判が終わるまでの約2ヶ月間,ここ,渋谷留置場で過ごす事を決意したのですが,実際,48時間は,警察署内での留置場に居られるが、その後,東京拘置所送りになることを,自称やくざに教えられ,そこでの厳しい警備体制や,決まりを聞き,全く,自由の無い時間を過ごさなければいけない事に,愕然としたのです。
 しかし,それは,実行されなかったのでした。
 現在,東京拘置所では,犯罪都市東京と言う,タイトルがついて以来,手狭になったため,改築,増築改修が行われており,実刑,または,余程の重罪犯でなければ,送られない事を,後になって知りました。

 私は,保釈されるまでに,検察には4回行き,それ以外の時間を,所内に置かれた(留置されていた被疑者が善意で寄付した本,マンガ)を読むと言う,非常に退屈で、ゆっくりと流れる時間の中で,身を置かざるを得ない自分は、いったい、私が何をしたと言うのだろう?と言う、疑問がぐるぐると頭を駆け巡っていったのでした。
 それは、検察や、裁判所へ護送される時に見える、車窓からは、自由と言う何物にも替え難い、幸せがそこにあるのを、ひしひしと感じたのです。
 そして、何度も護送される時に嵌められる手錠の冷たさと、重さに、私は、2度と、ここには、戻らない事を決意したのでした。

 アメリカの留置場では,自分の部屋には電話が無いのですが,朝,食事が終わった後,所内全員,一個所に集めらる場所があり,そこでは,コレクトコールでの電話が掛けられます。
 刑務所内では,部屋には,必ず,1台は電話があり,外部と連絡が出来る自由さがあるのに対して,日本では被疑者にたいしての人権が全くない事に,人権などと言う物は存在しない事も知りました。

 私は,所内で,1つ困った事がるとすれば,自称やくざの覚せい剤密売人が、部屋の中を取り仕切っており,彼との折り合いが悪く,脅かされ,凄まれた事でした。
 彼は,後に,渋谷を拠点にする,本物のやくざの親分が入所してきた時に,自分が詐称している事を悟られないように,しきりとペコペコとし,一切,私に対しての嫌がらせをしてこなかった事が何よりでしたが,その親分が入所してきた際,2日で、部屋替えをされ,所内で一番寒くて,狭く,且つ,隣の房には,日本語も,英語も殆ど、通じない通称イラン部屋に送られた事が,留置されていた時に,一番辛かった事でした。
 因みに、渋谷署だけではなく、現在、逮捕されている犯罪の半分は、薬物犯です。そして、東京では、国別逮捕者の10%は、イラン人、10%中国人、70%日本人残りに、韓国、アメリカ、南米です。

 私は,暑さには,滅法強いのですが,寒さには骨身の堪え,一日の半分は体を動かすか,毛布に包まっていないと居られない,状況が辛かったのでした。所内の暖房は,12月にならないと入らないのです。鉄筋コンクリート製の建物は、寒いです。底冷えします。

 逮捕され,2週間が過ぎるころ,私は,起訴され,12月22日に裁判が開かれるのが決まり,結審は,年を越す事になりそうだと,被疑者連中に言われ,そろそろ、わたしも、焦りが出てきたのでした。
 
 それは,妻の仕事上の性質,早朝から夜半までの勤務で、日曜祭日が休みではなく,家庭内の家事の殆どを中学一年生の娘がしていたためと,未だ,自分の事を満足に出来ない,小学校一年生の息子の不憫さを,考えざるを得ない自分の立場に,忸怩たる思いが募っていたのです。

 今回の事件は,全く,誰も被害者が居るわけでもなく,被害を蒙ったのは,まさしく,家族と私自身(買ったばかりの大麻を一度も吸引できない)である事に,国に対して,憤りを感じました。

 それまで、妻には,2回の面会と,毎日の手紙の遣り取りをしていました。その中で,私は,結審が終わるまでの間は,静かに所内で留置される事に不満を覚えながらも,受け入れてましたが,やはり,子供の事を考えると、居ても立っても居られなくなり,私選弁護士を選任するための,資金を頼んだのです。
 何故なら、国選弁護士は、保釈手続きはしないと留置仲間に聞かされ、ゆっくりしようなどと、のんびりした事はその時に、消え失せて行ったのです。
 しかし、やっと、旅行が出来るくらいのお金があるだけで,200万円のお金を用意する事は,到底不可能に近い事である事を,十分知っている私は,中々,それを切り出す事が出来ない状況でありましたが,妻の方から,弁護士についてどうするかと聞かれ,やっとその事を以来出来る状況になり,お願いしたのですが,様々な被疑者達から,弁護士費用についての高額な料金を如何して工面したら良いのか,毎日,その事ばかりに気を取られ,針の筵に座らされた思いでした。

 被疑者の中には,圧倒的に,その中で力を持ち,被疑者から人気のあった,前記したやくざの親分に相談しましたが,彼には私の経済状況に見合った弁護士を推薦出来る人物は見当たらないと言われ,毎日,運動の時間に会う人達に聞いて回り,その中でも,親しくしていた別のやくざが,弁護士を紹介してくれたのでした。

   弁護士とやっと接見でき,事の事情を話し,3日後には,保釈手続きをしてあげると言われ,それまでの苦しみから解放されるかと思うと,それまで,溜まっていた私の気分は,晴れ間が差してくる思いでした。

それからの3日間は,本当に釈放されるのか判らないまま,2日が過ぎ,3日目の朝に,釈放が決まったと伝えられてから,釈放されるまでの時間が,千秋の思いでした。
 何故なら,3日後と言われても,その間,弁護士から何の連絡も無く,ひょっとすると,祭日や,日曜を挟んでいたため,申請が遅れたのかと,苛々した気持ちでいたからです。

 逮捕後,32日間の長い勾留生活を脱し,シャバに出ると,シャバでは何も起こってない普段と同じ光景が目に飛び込み,私の逮捕と社会で起きてる事とは何の関係もない事に,改めて,思い知ったのでした。

 裁判の,担当裁判官は,私よりも若く、お勉強だけしか身に付いてない、社会などとは,無縁の裁判官と,裁判官と同じような目をした若い女性検事でした。

 裁判は、弁護士が言うには、1回で終わらせるからと言ってはいたのですが、都合、2回行われ、結審の時に、懲役8ヶ月、執行猶予3年と言う判決でした。
 被告は、再犯の恐れがあるため、と言う理由だけが耳に届きましたが、どうせ、判例主義でしか行われない、茶番であるため、私は、裁判の内容を逐一は聞いてはいなかったのです。
 唯、「裁判長が、被告人は、最後に言いたい事があれば言いなさい。」
と言われ、留置所内の食事の改善と、大麻取締法に対する国の意見を聞きたいと、言ったのですが、取り合ってくれませんでした。

 私の弁護士は,弁護士費用が30万円で,保釈に200万円掛かると言われたのですが,結審の時,弁護士費用を20万上乗せしてきたのに,鳩が豆鉄砲を食らった気分になり,人の足元を見たとんでもない弁護士だなと思い,結審後,10万円ディスカウントさせ,40万円で済みました。

 全てが終わり、私は、日本国における大麻取締法に対する被疑者の処分が余りにも重い事や、高額な弁護士費用、それに、保釈金の無い貧乏人は、保釈の出来ないシステムに、憤りを感じました。
 重罪犯は別にし、犯罪を犯した場合、まず、第一に必要なのは、お金であると、つくづく、思い知ったのでした。そして、最後に、日本は、今、経済が失速し、構造改革、規制緩和等と、聞こえのよい事を吠えてますが、先進国の中で1番遅れてるのは、法律であると、身に沁みてそう感じ、考える次第です。

 私の大麻に対する考えは、オランダのように、個人が愉しむための一嗜好品扱いにし、売買での取引に関してだけを、処罰する方向に行けばと考えます。
 私の知り得る限りでは、大麻を吸引して、死亡した事例は全く知りません。
 そして、錯乱状態に陥ったり、中毒から来る常軌を逸した事例も知り得ません。 

 

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