裁判所に着いたのは、15:45。裏口から入り部屋へ向かう間、付き添いの警察官が、「1時間は待つ」と言っていた。ただ裁判所は5時ちょうどに仕事を終えるそうで、判事が来るのは4時45分となる。

本当にその時間に書記を連れて判事が顔を出した。俺は弁護士の事とかを聞きたかったが、判事はまず

「この事件について間違いないか?」と判事

「はい」、少し間があって、

「終了!」と判事

えっ と思った。目の前に判事とのやり取りの説明書きと、被疑者の権利と弁護士について書かれたものが置かれていた。しかしその事を質問する間も無く終わった。その部屋を出て、5,6歩歩いた所で5時のチャイムがなった。付き添っていた3人が声をそろえて「ほら ぴったりだ!」と言った。

彼らの話では、検事も判事も今まで死ぬほど勉強してきた。どんなに長い調書でも、初見で全てを理解しているとの事。それぞれ書記が付いているので、字を書く所を見たことが無いと言っていた。

その後2回検事調べに行ったが、その時には担当検事が変わっていた。その検事は俺と同年代くらいの小柄で、頭も顔も小さかった。オーラを身にまとっていない人だったが、眼光の鋭さは検察庁だった。

最後の検事調べでは、途中休憩をはさみ、3時間ちょっとかかった。俺はその間微動だにせず、胸を張り、ずーっと彼の頭を見ながら、『詰まってんだろうな〜』と何度も思っていた。その調べの数日前から、西村寿行の小説を読み漁っていて、思念(人を思いのまま動かしたり、思考を操作する事)を、幾度となく飛ばし、『不起訴、不起訴・・・』と念じながら質問に答えていた。

検事の最後の質問は、「君は法が間違っていると思うか?」と聞かれた。

俺は堅持の質問には、シンプルな答え方を心がけていた。それは質問から少しでも答えがそれた事を言ってると、小ばかにするような表情を一回された事もあってだ。ただシンプルな答えの中にはいつも、大麻の無害性、世界の大麻事情、医学的検地での有用性、常用性の否定、依存性の否定、幻覚の否定、他の合法物の有害性、大麻喫煙による暴力事件の無い事等を、質問されるたびに織り交ぜていたために出た、検事の最後の質問だと思った。その法が、昔からあったのではなく、戦後アメリカが置いて行った法だと言ったら、“えっ” という感じで、そのことは全く知らなかったらしい。

がしかし、“法が間違っているか?”との問いには、“YES”とは答えられなかった。何よりも、一番俺が心配しているのが家族の事なのだから、その気持ちを正直に伝えた。事実、俺は法を犯した事に違いないんだから・・・。

 

BACKNEXT

home

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送